5/29/2013

暮色下好美的築地本願寺


「築地本願寺」。
全名是「浄土真宗本願寺派(西本願寺)築地本願寺」。
來到東京,尤其是帶著親友來東京,幾乎都回去一趟築地市場,因此一定會瞥見那一旁雄偉的建築。
可是,這建築離築地市場看似很近卻又不近有些距離,於是每回都是遠觀,沒能繞過去近近看過。
總以為這是個建築很特別,像是回教寺廟的建築。
不過似乎是佛教的殿堂才是。
可是這回跟日本友人約在地鐵築地站一出口,出口旁就是「築地本願寺」,於是可以很貼近的觀看。
真的是很美的建築呢!
Milly是受洗的基督徒,對佛教也認識不多,可以單是欣賞這建築,還是以為很有繞路過去看看的價值。
尤其是那天在暮色下,點起燈火的「築地本願寺」真是有著脫離現實感的美麗。
站在哪裡舉頭凝視,一時都神往起來。
附上ㄧ大段關於這建築的論說文,很詳盡。
簡單來說,就是這佛寺不是和風也不是洋風,而是日本地方少見的印度佛教大殿樣式。背後的建築設計大師是東京帝大建築史教授伊東忠太先生,東京車站的建築大師辰野金吾還是他的愛徒。

築地の街を歩いたことがあれば、専門家でなくとも、無数の突起を纏った、この建物を記憶している人は多いのではないか。それは、築地本願寺が和風でも洋風でもなく、インド仏教式という、日本ではたぐい稀な様式を採用していることにもよろう。
建物全体は、中央部の伽藍と左右に配された小塔部分の三つから構成され、間口87m、奥行き56m、高さ33mの大きさをもつ。
その外観は、インド仏教の祠堂である、チャイトウヤの形を模した大胆な造形をもつが、その一方で、内部空間は折上げ格天井や柱上部の組みものなど、日本の伝統的な寺院建築の様式を踏襲している。
建物の設計者である伊東忠太は、日本における最初の建築史家でもあり、独自の東洋趣味と歴史観をもっていた。大学院時代にまとめた「法隆寺建築論」の中で、日本建築の源流を探求した伊東は、日本の建築が中国、インド、イスラム圏を媒介にして、ギリシャ神殿にまで辿り着くことを述べている。当時、日本が学ぶべき対象としていたのは欧米で、後に彼が留学の行き先に、中国、インド、トルコを希望した際、大学から、欧米方面を追加しないと許可しないという返事のあった時代状況などを考えると、彼の新奇さが、どの程度のものであったかうかがえよう。
アジアの研究を重ねた伊東は、「建築進化論」を発表し、これからの日本の建築について、純洋風化や和洋折衷は必要なく、建築も生物のごとく徐々に進化していくのが自然であると論じた。明治末期に開催された討論会では、我が国の将来の建築様式について、「日本古来の様式を基礎にして進化させるべき」とも主張している。伊東自身、実作の設計にあたって、伝統的な造形に新たな建築技術を加味するなど、日本独自の様式を「進化」させることを試みていた。
彼の他の作品には、大倉集古館(1927)や東京都立慰霊堂(旧震災記念堂、1930)などがある。



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